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処女とツンデレ

六条愛理 コラム

 最近の若い女性声優さんは非常に可愛らしい人が多く、まるでアイドルのように雑誌のグラビアを彩ったりするだけでなく、写真集まで出してしまう人もいるようだ。

 もちろん、女性声優がアイドルのような売り方をされることは今に始まったことではなく、彼女たちが声優業に関連した歌手活動を行ったりするなかでメディアへの露出している以上、こういった傾向は避けようがないとも言える。聞く話によると、声優業界は年功序列のようにギャラが決まっているので、いくら実力があってたくさんの作品に出演していようとも、キャリアのない若手ということがネックになり、稼ぎにくいのが現状だからだ。それを補填するために声優本人も事務所もアイドル路線を志すのはごくごく自然な流れだろう。

 しかし、アイドルとして売り出される彼女たちを取り巻く環境は奇妙なものだと言えよう。

 

 

 声優とはいえアイドルとして売り出されているのだから、他のアイドルと同じく恋愛はご法度であるという空気があることまでは想像できるものの、彼女たちのスキャンダルに対する声オタ(声優オタク)の反応は私の想像を超えるものであった。

 好きなアイドルの女の子に彼氏がいることが発覚したとき、悲しみにくれてファンを辞めてしまう人々は当然いるだろう。しかし、一部の声優スキャンダルに対する過剰反応はそれを上回っている。彼女たちから離反するだけでなく、手のひらを返して「処女膜から声が出ていない」などと罵ったりするのだ。もちろん、深い悲しみの底に沈んで「こんな気持ちになるくらいなら草や花に生まれたかった」という繊細な人々もいるのだが。

 ここで一つ疑問が生じる。なぜ、彼女たちは処女でなければならないのだろうか。もし声オタたちの彼女たちに対する感情が擬似恋愛的なものであり、なおかつそれが遠回しにセックスと結び付けられているならば、むしろ処女でないほうが好都合なのではないだろうか。一概には言えないことだが、相手に経験があるほうがセックスがうまくいく可能性が高まるからだ。こういった可能性をすべて捨ててまでも声オタたちが処女、もしくは処女性から得ようとしているものはなんだろうか。

 それはおそらく優越感、あるいは非コンプレックスである。

 自分の好きな女性声優が非処女であるということは、自分よりも性経験が豊富である可能性がありうるということであり、声オタ自身が童貞であった場合などは特に、自身の性経験の少なさというコンプレックスを加速させる要因になりうるものである。

 声オタとか男性に限らず、人間とは常に他者よりも上の立場に立ちたがるものだ。これを書いている私自身も、自分のほうが読者よりも頭がいいことをひけらかそうとしているだけなのかもしれない。

 ともかく、この支配-被支配の関係を女性声優に投影した結果、上記のような反応が見られるのだろう。

 相手よりも優位に立ちたいという態度はかつてオタク層を中心に起こったツンデレブームにも見出すことができる。

 テンプレ化されたツンデレの台詞に「べ、別にあなたのためにしてあげたわけじゃないからね!」というものがあるが、これは当然「あなた」のために何かをしてあげたことへの照れ隠しとして、本心とは反対の言動をとっている状況を端的に示しているものである。

 そんなことは言われなくてもわかる? そう、言われなくてもわかるのだ。

 通常ならば相手の言動の真意が全く分からないところで行われるはずの恋愛の駆け引きが、一方的に理解できる立場から行われれば、さぞかし気分が良いに違いない。恋愛関係を自分がリードしているという感覚は、ささやかなプライドを慰める作用もあるはずだ。もちろん、ツンデレブームの要因はそれだけではないだろうか、この仮説を説明するにはこれくらいで十分だろう。

 ここでは支配-被支配の関係を用いたが、対象への保護欲はかわいいという感情につながるので、そういった別の視点からもこの問題を考察することは可能である。

 また、男性版が読みたいという人は本分をコピペして「童貞とツンデレ」と書き換えればよろしい。

 私としてはこういった問題が生じないためにもアイドルは女の子同士での恋愛を解禁してそっちばっかりやっててほしいと思う。切に願う。

 

 執筆者:六条愛理

(c)午前3時の六条会