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【第2回】六条くるるの浅墓短歌講座

 みなさん、ごきげんよう。すでにお気づきだとは思いますが、講師の考え方が浅墓な短歌講座の時間がやって参りました。

 本日のテーマは「時間帯」です。具体的には「夜」とか「早朝」とか「昼下がり」とか「午前2時」とかそういうのですね。

 短歌には特に結句にこういった表現が使われます。なぜならそっちのほうが短歌っぽいからです。

 なんとなく詠んだけど最後の結句が決まらない。そんなときにもこの表現が役立ちます。 「Aという場所でBという行為をした」といういわゆるあらすじ短歌や、具体性に欠ける短歌は作者の自分語りで終わってしまいがちで、読者に何かを伝える力を持っていない場合がほとんどです。

 そこで短歌の内容に嘘っぱちの具体性を持たせつつ、最後を無理矢理体言止めにすることによって小学生の作文から短詩作品へと変貌させるために「時間帯」の表現を末尾に付与するのです。これで完璧です。

 みなさんは末尾が時間帯表現になっている他人の短歌を読むたびに「なんで自分*の都合で真昼がそんな気分を代弁せなあかんねん、ドアホ!」とか思ってきたのかもしれませんが、ここは作品の短歌っぽさをアップさせるためだと思ってぐっと堪えてください。

 *この文脈における「自分」は大阪弁で話し相手を指す二人称として使われています。

 他のメリットは……えーっと、あ、音数の調整もできる、とか。

 人によってはむしろそこが重要なので、音数を持て余した結句のあたりに「深夜」とか「真昼」とか「夕暮れ」とかブチこみましょう。時間帯を詠みこむことで読者が勝手に深読みしてくれます。うむ、してやったり。

 あと、具体例にはみなさんの心の中にありますのでしっかりと思い出してください。その過程がすでに読み飽きた短歌に新たな輝きをもたらすのです。決してこっちの準備不足とかではない。

 それではまた次回。

 

 執筆者:六条くるる

(c)午前3時の六条会