科学馬鹿を馬鹿にする馬鹿

 小生は、科学馬鹿が嫌いである。

 ここでいう科学馬鹿とは一心不乱に科学技術などの研究に精を出している人間のことではない。そういった人々はたとえキ印だと言われようが、目の前の研究にのめり込んで欲しいと思う。

 では、小生が嫌いな科学馬鹿とは一体どういう存在なのか。それは科学的に正しいとか科学的に証明されているということを絶対的な真理として振りかざす人間のことである。

 科学とはオカルトと違い、実験などによって再現可能かどうかに重点を置いており、実験結果の数値化などによって明確に正しさを追っていけるものである。これはその現象に関わっている当人だけでなく、他のあらゆる人間がそれを客観的に理解できるようにブラッシュアップしたものであるため、現代においては科学が高度に発達しているためにそうは思えないかもしれないが、かつては科学もオカルトも未分の状態で交じり合った現象であり、科学は支持者を得て多数派になったオカルトとも考えられる。

 そういうわけで、民主主義的に考えるならば、「科学=正しい」というのは概ね間違っていない認識であるものの、それが実験などによって裏付けられる前はオカルトであったという事実を忘れてしまっている人が多すぎるように思う。そういった無神経な人々こそが小生の嫌っている科学馬鹿であり、オカルトの部分にこそ学問のロマンがあることを理解せぬ阿呆である。

 第一、ニュートンからアインシュタインへ、アインシュタインから量子力学へ、という流れを考えただけでも科学的な正しさというのは(断言できないが)その時代に限定的なものである、という一面を持ち合わせていることがわかるはずだ。

 なので、科学的な正しさを絶対的な真理のように語るやつらは50年後100年後にパラダイムシフトが起こったとき、自分が真理だと主張していたものが全くの間違いであったことを恥じるかもしれない、ということへの想像力が欠けている間抜けであると言えよう。

 

 ……以前の小生ならば、ここでこの文章を締めくくり、満足して眠りにつくところであるが、今の小生はそうすることができない。というのも、小生の考えは「必ずパラダイムシフトが起こる」ことを前提にしている、という自身の誤りに気付いてしまったからである。

 たしかにこれまでの歴史ではパラダイムシフトは一定の周期で繰り返されてきた現象ではあるが、それが今度も必ず起こるはずだと信じ込むのは、些か無邪気するのではないだろうか、と思うわけである。

 もしかすると、現代の科学が人間の英知の到達点でありこれ以上のパラダイムシフトが起こりえないとか、次のシフトが生じる前に人類が滅んでしまうといった可能性を考慮すれば、小生の科学馬鹿に対する批判こそが科学馬鹿と同じレベルの馬鹿げたことであることがわかるだろう。

 そういうわけで、科学馬鹿を馬鹿にする馬鹿とは小生のことである。今夜は「身から出た錆」という言葉を噛み締めながら深夜3時の枕を濡らそうと思う。

 

 執筆者:六条捻

(c)午前3時の六条会