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【観劇記録】劇団、六条会「罰当たり六条会の最期」

六条会 コラム 六条綾

 劇団、六条会による演劇「罰当たり六条会の最期」を観てきたので、その雑感などをここにしたためておく。
 この劇団の主宰は六条会(ろくじょう・かい)というなんだか色々とややこしい名前の人物で、六条会の中では演劇を中心に視覚表現を軸足を置いた表現者である。写真なども担当することが多い。

  さて、演劇という芸術体験はかつてほど身近なものではなくなっているため、劇場というヘンテコな場所に足を運ぶところからすでに演劇を鑑賞することが始 まっているとも言うことができる。今回の公演は劇場ではなく、雑居ビルの地下1階にあるライブハウスのようなイベントスペースのような施設で行われたのだ が、その体験の本質は変わっていない。

 そういった非日常性は、自身が鑑賞するものが演劇だと身構えていてもそう変わるものではない。
 照明や音響機材以外の舞台装置らしいものがない場所での演劇公演がどういったものか想像しにくい人もいるだろうが、今回の「罰当たり六条会の最期」は六 条会が作・演出・出演を行う一人舞台であるため、あえて様々な要素を排除して構成されているらしい。抽象舞台にすることによって、役者の些細なしぐさに注 目が集まるようになるため、必要最低限の演技で複数の人物を演じ分けることができる。小さな会場なので表情の変化なども伝わりやすい。
 いずれも珍しい工夫ではないものの、演劇に親しみのない人にとっては十分に異質な体験となることは想像に難くない。

 そろそろ中身の話に入ろう。
 話の筋としては、とある洋館に訪れた六条会*1のメンバーたちが次々に命を落とし、最後には全員が亡くなってしまうという一種の悲劇であるため、基本的 には一箇所での会話で物語が進行することになる。そのため、場面転換の必要性のないがあまりないため、上記のような場所でなおかつ一人芝居であっても大き な問題は生じていないようだった。

*1 ここでいう六条会は劇団、六条会でもなく、その主宰でもなく、その親組織である六条会を指していると考えられる。実際、私、六条綾をモデルにしていると思われる人物が作中に登場していた。

 冒頭から中盤にかけての会話の掛け合いなどは一人芝居ならでは間の取り方が活かされており、小劇場らしい笑いもたくさん含まれているために鑑賞しやすく、六条会の演劇世界にのめり込むには十分な魅力を備えていたように思う。
 しかし、この演劇の最大の見所はなんといっても後半部分――メンバーが次々に殺害されていく場面だろう。それまでの笑いによって緩められていた劇場の空 気が一気に引き締まっていく様子は、やはりあの空間でしか味わえないもので、文筆家としては歯がゆいのだが、どうにも文字に起こすことができない。
 かなりスピード感をもって演じられる場面であるために、時折、六条会が演じているのが一体どの人物であるのかがわかりにくくなることもあったが、何か得体の知れないものに襲われる恐怖や混乱といった精神状態を観客にダイレクトに伝えるための演出なのだろう。
 そのわかりにくさが六条会の演技力不足により生じたものでないことは、序盤の六条綾(を思わせる人物)が六条くるる(と思われる人物)への苛立ちを一瞬のうちに沈めて見事な皮肉を飛ばす場面を思い返すだけで十分なはずだ。

 その演技の詳細は実際に観劇してその目で確かめてほしいが、私が言えることは、すべての人物が死んでしまうという悲劇的な内容であるにも関わらず、演技や演出の巧みさによって暗い気分にならずに演劇的なカタルシスを得られた素晴らしい芝居だったということだ。
 

 執筆者:六条綾

(c)午前3時の六条会