空の写真について ―崇高さと美しさ―

 私はよく空を写真を撮るのだけれど、そのときは何も綺麗な写真を撮ろうとしているわけではない。

 もちろん、綺麗な写真が撮れるに越したことはない。しかし、それは写真を撮る真の目的ではない。私がカメラを構えるのは空の美しさを誰かに伝えたいから、ではないのだ。私は写真を通して、私が感じたどきどき感を伝えたいのだ。

 いきなりどきどき感といったメルヘンな表現が飛び出してしまったが、あの胸の高鳴りはそういった言葉でしかうまく伝えられないように思う。ただ気持ちが動かされるだけではなく、動悸が激しくなって立ち尽くしてしまうあの感じはちょっと独特な経験なのだと思う。

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 おそらく、ここで私が感じているのは「美しさbeauty」ではなく「崇高さsublime」なのだ。

 崇高さと美しさはどう違うのか。ざっくりと説明するならば、崇高さとは畏敬の念を覚えてしまう美的感覚のことで、自然や大きな建築物の美がそれに相当するものである。古代ギリシャからはじまり、近代ではカントが理論化した(哲学の一分野としての)美学の概念である。くわしくは専門の研究書を参考にしてもらいたい。

 つまり、私がカメラで空を撮るときは美しいと思うと同時に、怖さをも感じ取っているというわけだ。だから心が揺れて、じっとしていられず、自然とカメラを構えてしまっているのだろう。

 美しいだけのもの、綺麗なだけものはこの世に溢れかえっている。だからこそ私は、美しいや綺麗だけでは終わらない風景に惹かれてしまうのだ。

 

執筆者:六条会

(c)午前3時の六条会