パクリの問題点とは

 2014年2月現在、世間ではゴーストライターが問題となっていますが、くわしくはその時期のニュースを調べてもらうとして、今回はそれに近いような遠いような、パクリの話をしたいと思います。

 改めていうまでもなく、パクリは世間から非難されるものであるものの、どこかどう悪いかについてはあまり議論されていないように思われます。とりあえず悪いものっぽいから叩く、というのはいかにも大衆的でよろしくないので少し整理してみる必要があるでしょう。

 まず、法的な問題について。パクリによって著作権を侵害することは、その著作者の利益を害するがゆえに悪である、と言えます。パロディに寛容な文化圏ではその著作者の利益を害することのないパロディは合法である、ともされているため、この道徳的・倫理的な問題は争点の一つになるかと。

 次に、作者像に対する幻想について。この場合の作者像とはロマン主義的な作者像を指します。そして幻想とは、自立した主体であるところの一個人がまるで神のように作品のあらゆる要素をコントロールし、さながら創造主としてゼロから作品を生み出すという幻想のことです。

 小説家と編集者、ミュージシャンとプロデューサーといった例を考えればわかるように、現代の創作物は一個人によってのみ作られているわけではありません。例外はありますが、日常的に手に取る創作物は、パクリ問題の対象となる創作物も含めて、個人の采配のみで創られているわけではないでしょう。例外でさえ、過去の膨大な創作物を下敷きにしている場合がほとんどであるため、神のような創造行為によるものだとは言いがたいものです。

 ロマン主義的作者観はずいぶんと前に事実上崩壊してしまっているのですが、そういった見方をする人がまだまだ多いのが現状です。そのため、その作者観と実際の創作行為との間のズレが大きくなり、パクリに対して過剰な反応が引き起こされてしまうのでしょう。

 著作権法などには配慮すべきですが、現代の創作においては、神のような創造行為はほぼ不可能であり、なおかつどういったところから着想を得るのか、俗な言い方をすれば、どこからパクるのかといったことも創作者のセンスの見せどころとなっているため、パクリだと騒ぐ言説の大半のものはほとんど説得力のないものです。

 しかし、世間がロマン主義的作者観に基づいたパクリ批判を続ける限り、この考え方は再生産され続け、この種の批判もしばらくは消えることはないでしょう。この現状に対して我々は、十把一絡げに「パクリだ!」と言わず、どういう種類のパクリなのか、どういった点が問題なのか、といった現象の切り分けをしながら、パクリに向き合っていくしかないのでしょう。気が重いですが。

 

 執筆者:六条綾

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