漢字とかなのバランスについて ―短歌推敲記録―

 嚥下したつめたい水の存在感その鋭利さに救われている

 これは「うたらば」vol.09(テーマ:水)に佳作として採用された歌なのだけれど、活字としてのバランスにかなり気を使った一首なのでその解説を書こうと思って、書く。しかし、どれほど配慮しても読者の好みであっさりと切り捨てられてしまうのも作品の運命であるので、僕の行為も無駄な努力なのかもしれない。

 

 この歌で主張のコアとなっているのは明らかに「嚥下」や「鋭利さ」といったやや非日常的な語彙で、内容としては大したことのない歌を飾る要素でもある。ただ、こういったクセのある言葉は一首の中に溢れていると言葉同士でケンカしてしまい、活字としてもごちゃごちゃとした見た目になってしまうので、やや控えめに遣ってやる必要がある。

 そういう理由から「冷たい」という表現を避け、ひらいた「つめたい」を採用している。「冷」という漢字にトゲトゲしい雰囲気があり、歌の中でのその役割は「鋭利」のほうで間に合っているので、水の優しいイメージを一首に呼び込むためにひらがなで表記している、という理由もある。

 

 たしかに、短歌は音声が重要であり、こういった推敲をするよりも音読を繰り返して韻律により配慮したほうが作品の質が上がる場合も多い。というか、普段は僕もそうすることを推奨している。

 だが、その傾向が推し進められるあまりに、作品は読み上げられる前に活字として読者の前に現れるということを忘れてしまう読者がいるので、わざわざこの記事を書いた次第である。

 まあ、全体的にバランスよくいい感じにしろってことよ(いいかげんなアドバイス)。

 

(c)午前3時の六条会