略称の不具合

 略称とは何のためにあるのか。時間を節約しつつ、意味が簡潔に伝わるようにするためである。あるいは、仲間同士にしか伝わらない暗号のように意味を秘匿するためかもしれない。どちらもよく見られる用法ではあるが、今回は前者について書きたいと思う。

 先日、油そばを食べに行く機会があった。油そばとはぶっかけうどんのラーメン版のような食べ物であり、スープの代わりに濃い目のタレを麺に絡めて食べる一品である。

 小生は店において、海鮮漬けの油そばを注文した。マグロやサーモンの切り身を醤油ベースのたれに漬けこんだものをトッピングした油そばである。このメニューは店員の間では「ヅケ」と略称されているようだった。他に「ヅケ」という名前を含むメニューがないのでわかりやすく納得のいく略称である。

 ほどなくして小生の隣の席にも客がやってきた。その客は汁なし担担麺を注文したのだが、その略称は小生の注意を引くのに十分すぎるほど意外なものであった。店員曰く、「シル」と。

 わざわざ解説するまでもなく、汁なし担担麺は通常の担担麺とは違い、汁(スープ)がないからこそ汁なし担担麺という名前なのであって、汁がないことは汁なし担担麺のアイデンティティと言っても過言ではない。にも関わらず、それが「シル」と略称されるとはどういうことだろうか。

 他のメニューと区別でき、なおかつ素早く伝達できるという人間の利己的な理由のために、アイデンティティを粉々にされるような屈辱的な名前を付けられてしまった汁なし担担麺のことを思うとあまりに悲しくなってしまい、注文した「ヅケ」が本来の味付け以上にしょっぱくなってしまった。

 

 もはやそうした運命が変えようのないものならば、せめておいしく食べてあげようと次にその店に行ったときに注文したのだが、あまり好みの味じゃなかったので二度と注文しません。「ヅケ」安定。うまい。 

 

 執筆者:六条捻

(c)午前3時の六条会