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細田守『おおかみこどもの雨と雪』という作り物について

六条愛理 コラム アニメ

 もうすぐ細田守監督『バケモノの子』が公開になるということで、その前に『おおかみこどもの雨と雪』(以下『おおかみ』)という作品について書きたいと思います。結論からいうと、私はこの作品のことが嫌いです。その理由はいくつもありますが、これが鑑賞に堪えうる芸術作品というよりも、作り手の意図が見え透いた作り物だから、というのが最も大きな理由です。

 もちろん、作品にとって作り手が透けて見えるのは必ずしも悪いことではありません。職人の柔らかい手つきが見えるような焼き物の器は魅力的だと感じる人も多いでしょう。しかし、職人の手の形がそのまま残っている焼き物は魅力的というよりも不気味な印象を受ける人が多いのではないでしょうか。

 

 私は『おおかみ』の各所にそのような気味の悪さを感じました。例えば、シナリオの序盤で父親が死んでしまうというショッキングな展開がありますが、それについての詳しい経緯にはほとんど触れられませんでした。ただ、そこには狼でも人間でもない2人の子供を育てなくてはならないシングルマザーが残された、という結果だけが残されていました。邪推するならば、母親が苦労して子供を育てるというドラマの舞台を整えるという役割を終えたために死をもって退場させられたとも解釈できます。

 もしここ箇所だけならば、無理矢理な解釈だと笑い飛ばすべきところでしょう。しかし、このように感じる箇所はここだけではありません。

 物語の後半では、娘は人間として、息子は狼として生きる道を選ぶことになるのですが、この選択もかなり意図的です。まるで女子=恋愛、男子=種の存続という役割をそのまま割り振られたような印象すら受けます。

 これらの私が気味悪く感じる箇所は、単なる王道の展開ということもできるでしょうが、あまりにも旧態依然としたジェンダーをなぞりすぎていて、見ていて気持ちがいいものではありません。また、登場人物たちが自分の意思で動いているというよりも、作者の考える物語の展開によって都合よく動かされているという印象を強く受け、感情移入できないことがさらにその不快感を増幅させます。

 

 以上のような点から、私にもどうにも見ていて嫌になる映画だったので、悪意を込めて作品ではなく【作り物】と呼ばせていただきます。

 

 執筆者:六条愛理

(c)午前3時の六条会