読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ポケモンGO飽きたわーという人へ

 ポケモンGOというゲームがあり、プレイしたことがある人も多いだろう。
 公式サイト(http://www.pokemongo.jp/)の説明を引用して説明すると、「『Pokémon GO』は、位置情報を活用することにより、現実世界そのものを舞台として、ポケモンを捕まえたり、交換したり、バトルしたりするといった体験をすることのできるゲーム!」である。
 
 僕の周りでは、すでに飽きてしまったという人も多い。どこに行っても同じようなポケモンしか出現しないし、分かりやすいストーリーもないので、歩いてポケモンを捕まえて時々バトルするだけという単純作業に挫折する人がいるのも納得である。
 僕自身はというと、まだこのゲームをプレイし続けている。一部の熱心なプレイヤーのようにポケモンが多く出現する場所に遠征したりすることはないが、毎日のように歩いては1,2匹ほどのポケモンを捕まえる。
 どうしてそういった地道なプレイを続けているのかというと、それはAR機能によるところが大きい。ポケモンGOでは(図1)のように現実の世界にゲームの映像を重ねて表示できるAR(拡張現実)機能がある。これによって、ゲームの世界だけではなく、現実の世界にもポケモンがいるかのような体験ができるというわけだ。
f:id:rokujokai:20170327232303p:image
(図1)
 
 ……と息巻いてみても、シラけてしまう人もいるだろう。映像もそこまでリアルではないし、子供だましレベルじゃないか、と。
 
 たしかに映像体験としてややチープな部分があるため、今後のデバイス・アプリの両者の技術の向上に期待したいところだ。この機能が僕にとって素晴らしく感じるのは、脳内補完が非常にはかどるからだ。普段何気なく歩いている道にも自分が気付いていないだけでポケモンが潜んでおり、ポケモンGOはそれを可視化してくれるのだと。
 
 おそらく、こういった誇大妄想を抱えながらポケモンGOに触れる人は少ないだろう。ここまで辛抱強く読んでくれた人もあまりの妄想っぷりにドン引きしているかもしれない。
 けれども、僕はこのような姿勢は今こそ改めて実践されるべきだと考えている。このような姿勢とは、良いように言い換えれば、豊かな想像力で物事に接する姿勢である。
 現在、スマートフォンアプリに限らず、コンテンツは吐いて捨てるほど存在し、つまみ食いして飽きたら捨てて他のものをまたつまみ食いすることが可能な状態にある。しかも基本的には無料で(時間とか健康とかは浪費されてしまっているが、本題ではないのでここでは言及しない)。
 混沌としたコンテンツの海の中では、自分から遊んでいるのか遊ばされているのかわからなくなってしまうことがあり、もはや自分でも全然楽しくないと心のどこかで気付きながらも無意識にアプリを立ち上げていた……という経験があるのは僕だけではないだろう。
 ここであえて陳腐な言い方をするならば、受動的にコンテンツを浴びるのではなく、能動的に自分なりの楽しみ方を発見していくべき、となるだろうか。
 2017年はVR関連のゲームなどもいよいよ普及していきそうな雰囲気があるが、その新奇性も正直どこまで持続するかはわからない。たとえ技術革新が次々と連鎖してSF映画のような体験が可能になったとしても、いずれその刺激にも慣れてしまう時が来る。人間とはそのような生き物だからだ。
 刺激が足りなくなればまた新たな刺激を求めればよい――たしかにそうかもしれないが、そうして加速度的に刺激を求めていくことに、僕は生理的な嫌悪感を覚える。ある人は僕を新しいものを拒否する老害と呼び、非難するかもしれない。そうであっても、僕は若手の老害として、この主張を続けていきたい。
 自分を満足させてくれるものを求めて延々と乗り換えていった先に、自分の欲しかった感動があるならば、その選択もいいだろう。それでもなお、僕は一度立ち止まって、感動を自分の手で創造する道を選ぼうと思う。
 
 ポケモンGOに限らず、僕は何かに飽きてしまったときは別の視点から深堀りすることはできないか、と少しだけ考えてみることにしている。最新のものにキャッチアップして得られる経験に比べれれば些細なものかもしれないが、自分で創意工夫をしながら得た小さいもののほうが思い出として残り、あなたの人生を支える良い記憶となることもあるだろう。
 もちろん、どうしたってダメなものは存在するので、それを見分ける目で自分で失敗しながら身に付けなくちゃいけないのだけど。
(c)午前3時の六条会